漫画版ニアアンダーセブン 感想

ニアアンダーセブン   作 安部吉俊,gK

 1999年から2001年にかけてエースネクストで連載された単行本全2巻の漫画作品、ニアアンダーセブン(NieA_7)の感想を書いていきます。
 この作品はアニメとのメディアミックスがなされたもので、連載中に全13話のアニメも放映されています。漫画版とアニメ版では内容が異なるようなので、またいつかアニメも見てみたいものです。
 ちなみに、最近復刊版が発売されたようです。

NieA7 Recycle (カドカワコミックス・エース)NieA7 Recycle (カドカワコミックス・エース)
(2012/10/24)
安倍 吉俊

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1巻

img068.jpg 「宇宙人」なる、アンテナつけて耳がとがっているやつらが普通の日本人と一緒に現代的生活をしている世界が舞台となっています。主人公のまゆ子は銭湯に住み込みしている貧乏予備校生、そして彼女と一緒に暮らしている宇宙人のニアも主人公。
 基本的な流れは、貧乏生活上でのまゆ子とニアのどつき漫才なコメディ。「宇宙人って何?宇宙船って何?」とかそういう読者の疑問はほとんど置きっ放しにして物語は進行していきます。宇宙人来訪による社会問題を真面目に取り扱うと思ったらそんなこともなく、やっぱり変人普通人たちの妙な日常がほとんどです。特にインドかぶれの宇宙人回はかなりカオス、いやまあ基本的に全編カオスなんですけどね。
 極貧生活しているのに部屋が爆発したりお米を何度も落としたりする、そんな1巻。でもまゆ子の独白シーンでは、漫画が変わったのかと思えるほど急に物憂げな雰囲気になり、こういうものもこの作品の根底にあるのかと感じましたよ。


2巻

img069.jpg 2巻でも1巻と同じカオティックコメディな感じですが、最終巻だけあって感傷的な雰囲気が醸し出される場面も多いです。
 1巻ではまゆ子の生活において貧乏であることが前面に押し出されていましたが、2巻では貧乏だけでなく、お金のやりくりにおいてどちらを選択するかとか、自分はどちらに進むべきなのかというような、人生の岐路が描かれていましたよ。やはりこういう貧乏人の岐路っていうものは、ただの金持ちとは必要な決意の力が違うのでしょうね。金持ちなら金があるから道を引き返すのは簡単だけど、貧乏だと引き返すときにかかるお金がなかなか払えないから道を間違えないようにしなくちゃいけないわけで。

 ニアが一時見つからなくなります。騒がしい巻き込み型キャラが急にいなくなったら寂しくなるものですが、やはりまゆ子も寂しくなっていました。ただ、そのときに彼女はこれまでの生きかたやこれからの生きかたについて深く考えていて、その様子がこれまでのコメディ調と正反対な物憂げな雰囲気だったので、何だか読んでるこっちも憂鬱な感じを受け取ってしまいましたよ…。
 まゆ子が下宿して貧乏生活していたのも、もしかしたらニアがいたからで、もしニアがいなかったら実家に帰ってしまっていたのかもしれない。ニアとの生活には苦労の連続で栄養失調で倒れるほどだとしても、一人で生きる寂しさや退屈はなくて、自分は頑張っていけるのかもしれない。
 何のために生きて、何のために頑張っていたんだろう?そんなことに疑問を持ったのでしょうかね。

 結局ニアは戻ってきて、宇宙人たちはいつも通り騒がしい。以前は(表面的に)嫌だと思っていたそんな日常を、まゆ子は楽しもうとして物語は終わりとなります。


総括

img070.jpg 作画に注目すると、コマの枠線が全部手書きだったりたまにラフに感じられるところが印象的です。でもラフな箇所があるということは作者が手を抜いたり下手だったりというのではなさそう。真面目な場面ではちゃんと決めてるし、昭和のような背景が緻密に描かれていたりしますからね。全部が全部ちゃんと描かれていたら、それは日常ではなく、芸術?
 「決めてる箇所は決めてる」というのは、まゆ子が物憂げな表情をしているシーンなどでかなり感じられました。いや~本当、表情素晴らしいね。複雑な気持ちをしていると思われるシーンでも、その気持ちにあった表情がちゃんと描かれていると思います。

 まゆ子の心情について少し考察してみたいと思います。
 まず1巻では弟との電話で、「学校行きたいよな、姉ちゃんだって同じだ」とまゆ子が言っていますが、2巻ラストでの電話では弟が「僕、どうしたらいいだろう」と言い、まゆ子が「私は、知也が自分の思ったとおり自由に生きればいいと思う」と言っています。このように言動が変化したのは、この間にまゆ子の心情に変化が起きたからでしょう。
 まゆ子は最初表面的に、さっさと大学に受かってニアとの貧乏生活ともおさらばしたいと思っていたのでしょう。それに、周りの人間に合わせて「良い子」であるようにしていたため、「良い姉」であるがために弟にも(客観的に)良い道を進ませようとしていたのだと思います。
 しかし、ニアが一時いなくなったとき、まゆ子は自分のやりたいことなどに疑問を感じてきます。今までは極貧生活しながら予備校通って大学合格さえすれば良いと思っていましたが、ニアとの生活は案外楽しかったということがわかってきます。自分の生きるべき道や幸せは今の厳しい生活の先にあるのだと思っていましたが、そういうものが「今、ここに存在していた」ということに気づいたのでしょうね。こういう道もあるのか、目指すべきものはただ一つだけじゃないんだ、と。
 そのような思いを持ったからこそ、弟に対しても客観的に良い姉ではない答え、良い弟にならなくても良い、というようなことを弟に言ったのだと思います。幸せなんて全く予想だにしていなかったところに転がっていたりするもんなんだから、どうせなら今自分がやりたいことやって好きなように生きていったほうが楽しいだろう。


 この作品では、現代と比べると特殊なものが混ざっている日常をコミカルに描き、その楽しさや意義を描いたものだと思います。何か大きな社会問題を描いたり、ドラマッチックな出会いや別れも無く、人が生きる生活を描いているのです。宇宙人が登場しているのは、宇宙人みたいなものが登場すると何かドラマチックがあるのだろうと思っている読者への裏切りによって、日常らしさを相対的に多く感じさせようとしたからなのかもしれません。
 私個人が常々思っていることなのですが、日常というのは人生において実は大部分を占める要素であり、しかもあまり省みられないものであります。昔話や物語には日常を語られることはほとんど無く、人生のほんの一部のドラマが大きく注目されてもてはやされています。しかし、自分一人の目線に立って人生というものを見てみると、何と日常生活の多いことか!人生において幸せというものを追求した場合、非日常にのみずっと幸せであるのと、日常にのみずっと幸せであるのとでは、後者のほうが幸福量はかなり大きくなります。そういうわけで、私としては人生における幸福とは、日常生活において幸せであると感じることこそが、その大部分を占めていると思います。
 
 日常の積み重ね、過ぎてゆく時間。何をすれば絶対正しいのかなんてわからないまま私たちは生きて、そして遅まきながら今までの生活の素晴らしさに気づいてちょっと後悔する…、そんなことを繰り返しながら、私たちは今日も「日常」を送っていくのでしょう。
 

テーマ : 漫画 - ジャンル : アニメ・コミック

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