タビと道づれ4~6巻 感想 

雑記
 もう1月下旬かよ!
 ある何かのために頑張ることは有意義なのですが、その分時期ごとの思い出が少なくなって、時が経つのがかなり早く感じられてしまいます。

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4巻

img024_20111016171339.jpg タビと閉鎖世界の時間の違いが明らかになり、物語は佳境へと向かいます。
 物語の最初そして過去のタビは、会いたい人間や好きな人間は「航ちゃん」だけでしたが、この世界が正常になったらもう一度会いたいという人が出来てきます。単独に光っていると思われる星々が、手を取り合って星座を作り、新しい物語を描くように。タビの星座は最初は航ちゃんと繋がるものだけでしたが、しかし今は…

 10歳年下の少女に自分の存在意義を見出したニシムラさんのエピソードが4巻に載っていますが、このエピソードがネット上に貼られていたのがきっかけになって、私は「タビと道づれ」に興味を持ったのですよ。10歳年下のロリを完全な「聖」の対象と見ている点では、まさに真のロリコン。小児性愛者とは一線を画すという点を強く認識して欲しい!と私は主張しますよ。
 ニシムラさんは、誰からも大事に思われておらず(少なくとも自分ではそう思っている)、だからこそ自分の存在はこの自分以外の世界では存在していないことと同義ではないのか?と考えているのです。で、初めて自分を大切に思っていると思われるツキコに出会い、希望を持ったのですが、しかしやっぱり自分は世界の一部にはなれなかった…。そして、それを自分自身が望んでしまっている
 
5巻

img025_20111016171339.jpg ニシムラさんが愛していた(恋とは若干違う意味で)、ツキコさんは、「私が知ってる分のコウイチさんは全部好きになってしまいましたから」とのこと。ニシムラさんカワイソス…まさに、「ロリコンに春は来ない」じゃねえか…
(´;ω;`)ブワッ
 …夢を夢のままにして、痛みを消して、決着をつけずに、ただずっと「途中」であり続ける、それは永遠の安らぎでしょうか?それとも、永遠の苦しみでしょうか?…人生には一人一人に「決まったあるべき場所」なんてものはなくて、いつまでも未完成のまま歩き続けるのではないでしょうか。
 きらびやかな役者が演じる「あっち側の世界」と冴えないやつらの集まる「こっち側の世界」に世界は分かれているのではなくて、どちらも同じ世界。一人一人が役者であり、そして、物語を作る星々の一つ。自分の物語を欲しなかったニシムラさんですが、物語のない虚無の世界自体が苦しみでありそれを一人ではどうしようも出来なかったというのが、真相なのかも。

 オルフェウスの物語の脚本に、ある文章が挟まっていました。それは、「オルフェウスは最愛の人の死にすらすがる自分の強欲さに、その業のために妻を悲しませたから」というもの。
 しかしこの文章って、誰が書いたのでしょうか?そして、書いた意図は?
 

6巻

img026_20111016171338.jpg 最終巻です。タビの、旅の始まりを見届けることにしましょう。
 1巻から謎だったことがいろいろわかってきます。「星の生まれる場所」とは、つまり星を映すプラネタリウムのこと。タビが5年前にやってきたのは、「あの日」の流れ星をプラネタリウムで見たから。などですね。
 タビは最初、会いたい・大事な人は小津航一だけでした。が、この5年前の街にやってきて、様々な人・様々な想いに出会い、人と人との繋がりやその大切さなどに気づいたわけですね。人と人との繋がりは、痛みも心地よさも含めた刺激が伴い、そして満天の星空のように物語が広がっていく…ということでしょうか。
 タビは「航ちゃんに会いたい」と願っていましたが、それはつまり航ちゃんというのは「自分の居場所」にほぼ同義であり、だからこそ自分の居場所を見つけられたタビの願いは、流れ星を見ることをきっかけにして、叶えられたのでしょうね。自分の居場所を求めた「1話 タビと始まり」は、さらなるタビの居場所へ導く「35話 タビと始まり」に帰結したのでしょう。

総括
 感想の総括の前に少し言及したいことがあるのです。それは、小津航一のことです。
 小津航一はタビ、ツキコ、クロネ達に安らぎの場所を与えた聖人君子のような人間ですが、どうしてそこまであらゆる人に優しくすることが出来たのでしょうか?作中でツキコはこう言っていました。「誰にでも平等に『優しい』ということは、『無関心』と同じ意味ではないかしら」と。そしてもう一つ、タビが言うには、航ちゃんとニシムラさんは同じように悲しそうな笑顔を見せるということ。
 上記の二つのことと、オルフェウスの物語への誰かが書き足した「最愛の人の死にすらすがる自分の強欲さ」ということを考えれば、書き足し人って航一じゃないんだろうか?それが正しいなら、もしかして航一って過去に最愛の人を亡くし、嘆き悲しみ、昔の人々が会いたい人に会いたいと願うときに星空を見るようにして、星座に興味かもしくはすがることによってプラネタリウムを運営する青年になったのかと、私は妄想します。
 もう一度言いますが、上記のことは妄想です。作中では小津航一のことを詳しく描かれておらず、小津航一としてではなく「航ちゃん」として描かれています。その理由はやはり、航ちゃんを取り巻く側から見た小津航一を映し、彼を何か神聖的で絶対的なものだとするような効果のためだと私は思います。ですので彼を詳細に設定してただの人間の一人として扱わずに、タビやツキコにとっては絶対的なもののように思わせておいて、そして彼女らの新しい居場所という救いの道程を描くためであった、という感じでしょうか。
 あ、そうそう、後、最終話に航ちゃんに似た車掌がチラっと出てくることから、セキモリたちの願いを叶えたあの「車掌」は、もしかしたら自在に流れ星を流すことの出来るプラネタリウムを持つ「航ちゃん」だったのかもしれませんね。ここでいう「航ちゃん」は、「小津航一」という意味ではなくて。

 さてストーリー総括ですが、やはり作者も言及しているように、この物語には「手」が大きく関与してきますね。人同士が手と手を取り合う、まるでそれは宇宙に散らばっている星々を繋げて星座を作り、新たな物語を描くように。
 しかし手を取り合うことは何の抵抗も無しに出来ることではありません。人と人とが接触すればそれは心地よさだけではなくて、痛みや苦しみが伴う場合もあります。しかし、痛みや苦しみだけを恐れれば、人は自分の居場所というものを見つけられることが出来なくなるでしょう。
 「自分の居場所なんて必要ない、そもそも、そんなものはこの世界に無いんだ」と思うときもあります。しかしそれは本当なのだろうか。もしかしたらそんな自分を居場所の一つとする他人がいるかもしれません。そうやって人は、自分の居場所を見つけるために一歩一歩地上を歩いていくことになるのでしょうね。
 そして上手く手を取り合うことが出来れば、流れ星のように願いが叶うことになるかもしれません。
 

 この漫画は表現や比喩が繊細で、かなり文学的・詩的な雰囲気をかもし出している漫画だと思います。作者は女の人ですが、内容が良い意味で女らしく、「誰と誰かがくっついた!」とか「本当は悲しい過去を持っているのよ!」みたいな陳腐な悪い意味で女らしい箇所がなかったのが好印象です。
 是非とも男性女性関わりなく読んでもらいたい漫画だと、私は思います。

1~3巻
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