NHKにようこそ!5,6巻 感想

また更新がものすごく停滞してしまった・・・

まあ旅行行ってたし(←本当に)


5巻

4巻で溜まったカオスがこの巻でついに爆発してしまいましたね・・・
もう、鬱一直線。希望も何も無い。
元の生活にはもう戻れないし、正常な生活にも戻れない。
一体どうしろと?


4巻ラストで自分の信じるものを失い、自暴自棄になる佐藤。
その気持ちと山崎からもらった強烈な幻覚剤も相まって、5巻最初の話で、佐藤は発狂してしまう。

 しかし・・・幻覚剤を飲んだ人から見た風景とはあんなものなのだろうか?なんでもない人が宇宙人に見えて、何かを異常なことを言っている・・・
 この漫画の作者、滝本も薬の服用経験はあるので、あの異常な風景は自身の実体験を元にしているのだろうか?薬を服用して狂う、というのは自分が見たり聞いたりするものが狂っているから自身も狂ってしまう、ということなのかもしれない。

 狂って感情がハイになっている佐藤、突然自身の存在について疑問を持ってしまう。
「自分がいなければ一番いい・・・なのになんでこれが現実なんだ?」
その後、自身の幻覚から言われる。
「お前の見ているもの、岬も山崎も両親全てはただの妄想じゃないか?」

そして、ついに佐藤は・・・発狂する。

ああああああああああああああああああああああ!!!!


 佐藤がここまで狂ってしまった原因は、やはり直後のシーンの「全て妄想」のことだろう。
 佐藤は自分が信じていたものがすべて本当のものではなく、ただ自分が作り出しただけの幻覚・・・そんな考えに至ってしまい、佐藤はもう何も信じられなくなって発狂したのだろう。

 しかし、なぜそんな考えに至ったのか?
 4巻ラストでは、岬ちゃんの狂言にだまされて、救おうとした病弱の女の子はすでに死んでしまった。佐藤は二人を信じ、救おうと努力した。が、結局はその思いも無駄になった。
 個人的な解釈だが、佐藤はこれらのことで、信じられるものはどうせなく、何をしたって無駄だ。自分が信じていたものは自分が作り出した幻影だった。だが、今信じているものはどうなのか?もしかしたらそれも自分の作り出した幻影なのかもしれない。と、思ったのだと思う。

 発狂後親が病室に訪れる。そのとき、父親が警察に向かって頭を下げている。それを見ている佐藤は一体どのような気持ちだったのだろうか。また親に迷惑をかけてしまったという思い?それとも親が心配してるのは実は偽りで、佐藤よりも世間の体裁や他の人に迷惑かけないことが重要?佐藤の虚ろな目には親の姿はどのように映っているのだろうか。



 発狂したことにより、佐藤は実家へ連れ戻されてしまう。両親は何とか佐藤の病気を治そうとするが、それらがなんとなく痛々しい。自分に接している優しさは全て偽りのものであり、目的のある優しさだ、なんてことに気づいてしまったら、人間誰でもいてもたってもいられないと思う。佐藤はやはりここでも自分の信じていたものが崩壊したのだろう。だからこそ、人のいないあのアパートに帰って、またひきこもるのだろう。
 同時期、岬ちゃんも困ったことになっていた。不登校児だった岬ちゃんはまた学校へ行くように催促された。そしてアパートに逃げた。
 この二人両方とも、見たくない現実から逃げようとしている。佐藤は信じられるものが無い現実から、岬ちゃんは過去に自分を苦しめたものがまた迫りかかってくる現実から。

 
 あんなに絶望してそうだった、佐藤のひきこもり生活は実は佐藤や岬ちゃんにとっても幸せのあるものだったのだろうか。幸せはいつも側にあったんだ・・・と佐藤が悟ったのにはそんな思いがあったからこそだと思う。そして岬ちゃんがまたあのアパートへ帰りたいと思っていることも・・・
 発狂シーンで全てを信じられなくなっていたが、ここにきてようやく気持ちが治まり、山崎や岬ちゃんや先輩は現実に存在し、彼らからもらったものは自分の中に確かにある、と佐藤は悟ったのだろう。読んでいるときはようやく佐藤は信じられるものを見つけ、ここから佐藤の新たな希望のある人生が始まるんだな、と思っていたが・・・
 結局佐藤は佐藤であり、決心をしてもすぐにエロ動画を集めて現実逃避をしてしまう。風呂に入って水をかぶったときに佐藤が虚ろな表情をしたのは、そんな自分の不甲斐なさややっぱり信じられるものがないことを思っていたのかもしれない。


 その後自分のやるべきことをやらずにオナニーに耽る。ここでもまた違法っぽいラッシュなんてものが出てくるが、これも滝本の実体験が元になっているのだろうか?本当にこの人ヤバイな。


オナニーのときはかぎ閉めない派


 こういうときに限って親が部屋に入ってくる。まあ良くある青春の光景だが・・・佐藤の今の現状を見ると、この状況は笑えない。頑張るといっておきながら、オナニー。しかもとてつもなく特殊な。


腐った自己満足の塊だ!


この家にいると息が詰まって創作活動がはかどらねぇんだよ!全部お前のせいなんだよ!!
もう二度と俺の部屋に入ってくるんじゃねぇ!!ちょっと希望が見えたからってそれで人生が良くなるわけねぇだろ!

俺の人生はオナニーなんだよおお!!



 ウワァァ!!
    (>'A`)>
    
 普通の人ならこのシーンで笑うでしょう。しかし私にはもう笑うことができません。なぜなら、佐藤のこれまでの気持ちがわかりますから。
 やっと自分の本気を出そうとしたが、やはり出すことができない。オナニーにはここまで本気になり、いろいろな工夫をすることができるというのに、やるべきことをやることができない。そんな滑稽でやるせない自分に嫌悪してしまう。だから・・・佐藤を笑うことができない。


 そんなこんなでまたネトゲに現実逃避をする佐藤、ネトゲ内である人物に会う。それは、委員長の兄。彼もひきこもりで、外に出ずにネトゲをしている。彼は佐藤に言う。
「笑い飛ばせないリアルなんて存在しない・・・死ぬべきという考えは幻覚・妄想だ。他人と交流するんだ。他の人が鏡となって君の妄想を吹き飛ばしてくれる。」
 笑い飛ばせないリアルなんて存在しない、ということはよく巷で言われているように、気持ちの持ちようであることだと思う。死ぬべきという考えは、もちろん自分が作り出したものだ。他人を見ることで自分を見ることになり、冷静に判断できるかもしれない。だから他人と交流したほうがいい。
 ここまでは大体分かるが次の文、
「この世に他人なんて存在しない。しょうがないことなんだ・・・」
 物質的に考えればもちろん現実には他人は存在する。ではこの文中での他人とは一体何なのだろうか?

 これまでの展開で、他人はもしかしたら自分の妄想なのかもしれないというのがあった。ということはここでの他人とは、自分が勝手に作り出した他人とは違う、完璧に自分補正の入っていない他人のことなのだと思う。
 ここで言う自分が勝手に作り出した他人とは、もし友達にAさんがいたとする。私たちはAさんと接するときAさんのイメージを自分で作り上げてから自分がどう接するべきかを決める。例えばAさんは甘いものが好きだとする。そうすると自分の中のAさんは、「甘いものが好きなAさん」となる。もし急にAさんが甘いものが好きでなくなっても、自分のなかのAさんを補正しない限りAさんは甘いものが好きなままだ。
 これはただのたとえ話だが、多分人間はこうやって他人を作り上げている。完璧な他人と接するには自分の心を無くさなければならない。だからこの現実には他人なんていない、のかもしれない。


 そして学校行き始めた岬ちゃん・・・痛々しすぎるよ・・・まあ確かに私にだって人とは違ったところがあって、他人には自分を理解することなんて絶対できないと少なからずは思っているけど・・・
岬ちゃんには予想以上に自分が普通であることを認めたくなかったのだろう。なぜなら、自分がこんなに不幸なのは自分が人と変わっているから、自分は悲劇のヒロインだから。だからこそ自分は強くて立派な人間であると思えるのだ。
 でも現実は違う。自分の不幸さは他人と同じほど。それにくじけている自分は人並み以下の弱い人間。今まで自分を支えていたものが無くなる時、人は耐えられなくなり、逃げてしまうのだろう。



 第25話 ネクストステージにようこそ

 正直この話はひきこもり話として本当に良くできている。個人的にはNHKの話のなかでトップを争うほどの出来だと思っている。「NHKなんて擬似ヒキだ!」なんて言っている人に見せてやりたいほどに。
 
 先輩の荒れた結婚生活から始まり、学校生活に苦しむ岬ちゃん、山崎とその彼女の希望の無さそうな生活、本当のヒキっぽくなった佐藤の生活。
 特に佐藤の話は妙にリアルだ。未来がないから過去に浸り、自己嫌悪におちいる。親が寝静まった後にご飯を食べる。「母の手料理の美味さが痛かった」それは自分のようなクズにでも優しく接してくれる母に申し訳ないから。
 元中学のクラスメイトは担任教師を世話していると思いきや、それはただ、金を取ろうとしているだけ。佐藤が頑張ろうとしていたのにやめたのは、現実の無慈悲さ、利用し利用される人間関係を垣間見たから?希望は無いのか
 

 そうだ僕らは全てからログアウトすべきだ
 そう、彼らのような現実に耐えることができないものはどこにも行くことができず、周りの人間に迷惑をかける。何もすることができない、何も信じることができない、「する」ことができない。

 裏切り?飽き?

ありえない物語

あぁぁ...

岬ちゃん岬ちゃん


 佐藤は信じるものがあると信じていた。だが・・・無かった。
 岬ちゃんはもう佐藤の天使ではない。いや、もうではない。最初から彼女は天使ではなかった。彼女にとって佐藤はどうでもいい存在だったのだ。佐藤は、親から捨てられた子供のように、絆を信じていながら捨てられた。
 だから佐藤はまた、幻覚を見る。自分の作り上げた架空の現実を。



6巻

 6巻も5巻と同様に・・・もうどうしようもなくなっている・・・
 だが、ここあたりからが滝本作品の真骨頂だ。
 さあ、存分に作者の主張したいことを読み取っていこう。


 5巻ラストで絶望した佐藤。もう彼は自分のようなクズにかまけてくれる人の存在を信じられなくなった。だからこそP7で、

「ヒッキーに優しい女性の存在は矛盾している」

と、ごく当たり前のようにこの台詞を言ったのだ。
 もう彼は夢を見ない。現実はどうしようもないものであることを心の奥底から信じ込んでしまった。
 そしてP12にあるように、

「この俺自身が腐っているから逃げられない!!」

と、自分にも絶望した。佐藤は現実も自分も両方を信じられない。全ての場所を失った人間が行き着く先はどこであろうか?この現代社会では一つしかないだろう・・・


 佐藤は自分のなかの世界へ逃げた。架空の「岬ちゃん」がいる世界へ。しかしその岬ちゃんはいつも悲しそうな顔をしている。ただの架空なのだからうれしそうな顔をしていてもいいだろう。そのほうが佐藤の心は晴れやかになると思うが・・・
 佐藤はもう「楽しい」という感情を忘れてしまったのだろうか?それとも架空の岬ちゃんからして、笑う要素を佐藤がまったく見つけられないことなのだろうか?どっちにしろ佐藤は普通の妄想すらできないほどの、精神状態なのではないだろうか。

何も...何も見えない....






 佐藤は家を飛び出し、また絆を信じて岬の元へいこうとした。が、彼は彼女を見つけられず、半ばホームレス状態になり漫画喫茶へ行き、オンラインゲームをする。
 そこでいつもいる委員長の兄と出会う。そして佐藤は「永久にログアウト」しようとする彼を説得する。

「俺らはいつだって自由だったんだ!」
「現実にどう対処するかは自分で決める!どうやって生きるか自分で決める!!」
「変えるんだ!自分の意志で!それが大人になるってことじゃないのか!?」


「どうすればいいのか全部分かってる。分かるけどどうにもならない!」


 佐藤はホームレスのだめ人間なのに、説教をするのは間違っているように思える。しかし、佐藤の言った台詞はそのまま自分への説教ではないのだろうか。委員長の兄を説得しようとしているように見えて、実際は自分への暗示とでも言ったらいいのか。

 人間はいつでも自由だ。だがどうにもできない。それは、もう彼らが行きつくところまで来ていてもう戻れないから。行き着くところというのは、今の精神状態。彼らは何も信じられなくなった。何も目標が無い。このままでいたい。だけどそれはしてはいけない。ではどうすればいのか?

「愛も夢も希望も目標も意味ももう何も無いんだ。自分ひとりで生きるしかないんだ・・・」

 人は何か信じるものがあれば、それに従って生きることができる。だがそれは同時にそれに束縛されていることになる。佐藤たちは信じるものから自由になった。しかしその自由は、「自由」という言葉の持つイメージとは全くかけ離れたものだ。
 人が自由を望むのは自分に何かしたいことがあるから。彼らにはそれが無い。本当の自由とは一体何なのだろうか?






 佐藤や岬ちゃんや委員長兄が困ったことになっているように、山崎も絶望していた。

「ゲームだって最初から完成しないと分かっていた」
「なぜなら僕には才能が無い・・・」
「僕はもう・・・ゲームなんてこれっぽっちも好きじゃなかった・・・」

「それまでの殴られ傷つけられるだけの、何の価値も無い学校生活とは違う。本当に価値のある現実・・・僕だけの世界!!僕だけの理想郷!!」


の はずだった――

もう、何も無い


「僕はいつでも信じていたんだ!無駄な作業を続けていればいつかもう一度夢と希望が見つかることを!!」

いつか起こる奇跡の力を!

「そうさ・・・たとえ夢が消えても絶望しても失恋しても、その苦痛が僕らを支えてくれるはずなんです!夢と現実 幸福と絶望 その狭間を行ったり来たりするのが人生なんです!だから今確信して叫びます!」

「どんな瞬間にだって意味があったんだ!確かに僕らは青春という”物語”を共有してきたんだ」



 ここらへんは大分好きなのでほぼそのまま台詞を抽出してみた。
 山崎がどうしてゲーム作りを続けてきたのかが少し理解できた。彼はゲームの完成よりも、その過程が目的だったのだ。作業を続けていれば奇跡が起こると信じていた。
 おそらく彼は「何もしていない」状態の恐怖を知っているのだと思う。何もしていなければ何もおきない。世界は一切変わらない。だから「何かをする」状態に自分を置いていたい。何かをしていれば何かが変わると信じていた。

 少し山崎の、ゲームを好きでなくなったことについて考察しておこう。
 最初、彼はゲームについて現実とは違う理想の世界だと考えていた。ゲームは架空の世界なのだから、彼が「僕だけの理想郷!」と考えていてもそれは正しい。架空の世界なんて誰のものでもないのだから。
 しかし彼は、他人が自分の理想郷に入ってくること、理想郷は所詮製作者に作られていることを知る。もう彼には幼き日に見た理想郷は存在しない。だから彼は、「・・・神は、死んだのか?」と信じるものをなくしてしまったことを悲しんだ。
 個人的な考えだが、物語とは不定形でよくわからなく、本当に人間が作ったものだと感じさせないものであるほうが好きだ。なぜなら、自分の中の妄想として取り込みやすく、世界を構築しやすいからだ。もしそれが人間が作ったものだと認識してしまったのなら、物語の泣けるシーン、萌えるシーン、笑えるシーンなどの全てが仕組まれたものだと考えてしまい、自分の感情は他人に操られてしまうものだと感じてしまうからだ。それが許せる人もいるかもしれないが、私には無理だ。おそらく山崎も無理だろう。唯一の真実の世界である自分が、虚構であると考えてしまえば5巻の佐藤のように発狂してしまう。

 ゲームや現実に絶望した山崎だが、自分の望んでいたことに気づいたおかげで彼なりの人生観を持てるようになった。それがラスト二文の台詞だ。
 彼は幸福も絶望も現実も妄想も、すべて絶対に存在するものとして認識できたのではないだろうか。彼は絶望が迫ってきたからといって、もうそれからじたばた逃げようとしない。それは存在するものとして受けとめることができる。そう気づいたから、彼には全ての瞬間に意味を見出すことができた。
 そして理想郷であった物語の中のように、山崎と彼女の二人で彼らなりの青春の物語を築くことが出来た。それは山崎が最も求め、作り上げようとしていた、理想郷になりうる物語ではないだろうか。

 
 とってもいい雰囲気だったんだけど、その後で一気に雰囲気ぶち壊し・・・
 山崎カワイソス(´・ω・`)





 話は佐藤に戻る。

 佐藤は、人間が生きるには希望が必要だ。(中略)だが本当の現実なんてどこにも無い・・・全てデタラメな幻なんだ・・・と考えるようになる。

 現実は存在しない、真実なんて存在しない。だから全てから自由なんだ。

だがしかし――

幻の現実

 やはり彼にもどうしてもただの幻だなんて思えないものがある。この想いからは自由になれない。だから彼は先輩を今でも好きだし、たとえ結婚してもまだ想いが消えてくれない。山崎が真実を見つけることが出来たと同様に、佐藤もほんの少しだが真実を見つけられることが出来たのだと思う。
 でもやっぱり駄目人間っぷりは直らないと思うが。


感想1,2巻
感想3,4巻
感想7,8巻
総括

NHKにようこそ! (5) (カドカワコミックスAエース)NHKにようこそ! (5) (カドカワコミックスAエース)
(2006/06/23)
大岩 ケンヂ滝本 竜彦

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NHKにようこそ! (6) (カドカワコミックスAエース)NHKにようこそ! (6) (カドカワコミックスAエース)
(2006/11/21)
大岩 ケンヂ滝本 竜彦

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テーマ : 漫画の感想 - ジャンル : アニメ・コミック

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